それから俺はオナニーをするとき、必ずゴムを使ってするようにした。そうすれば、俺が彼女を想って出した愛の証拠を、分かりやすく彼女に届けられるからだ。今日も、たくさん出た。彼女のベランダから借りてきた下着があったから、調子にのって三回もしてしまった。底に溜まった精液をこぼさないように気をつけながら、ゴムをビニール袋に入れる。ビニール袋にはここ一週間ぶんのゴムが入れられていた。ついでに借りた下着も中に入れて袋の口を縛り、深夜、俺は彼女のアパートに向かう。俺はもう、五回以上こんなことを続けていた。
遅い時間なのに、彼女はまだ起きているらしい。窓に明かりがついていて、人影が動くのが見える。俺はドアのノブにゴムが入ったビニール袋を掛け、チャイムを押して素早く近くの物影に隠れた。ぱたぱたという音がして、彼女がドアから顔を出す。ああ、今日も綺麗だ。綺麗な彼女はドアノブに掛かったゴム入り袋に気がついて、それを手に取り、首を傾げてきょろきょろあたりを見回す。俺の股間がまた硬度を増した。我慢できずにその場でスウェットを下ろして扱き始める。ひどく興奮した。
そのとき、うっかりバランスを崩し、一歩後ろに下がった俺は、パキリと小さな小枝を踏んだ。
彼女と目が合った。
「あ、――」
そのまま、力が抜けて尻餅をつく。俺は竿を握り締めた状態で硬直した。彼女が、玄関から、ゆっくりと歩いてくる。そして、滑稽な姿の俺を見下ろす。
「あ、あの、これは、違うんです」
「やっぱり、貴方だと思いました」
予想に反して。
彼女は俺の聞き苦しい弁解などまるで意に介さないふうに、にっこりと笑い、なんでもないように、猫缶の方ですよね、と言った。
「え、あ、――はい」
「びっくりしました。こんなに熱烈な贈り物をもらったのは初めてでしたから」
かああ、と俺の顔が真っ赤になる。彼女は慌てて、からかったんじゃないんですよ、と訂正した。もちろん、彼女に悪気なんてものが存在しないのは分かりきっている。
「あ、さんは、僕が、気持ち悪くないんですか」
「……どうしてですか?人からの好意は、嬉しいものでしょう?」
彼女はあっけらかんと述べてみせる。
彼女は、怒っていなかった。
気味悪くすら思っていなかった。
俺は竿を握り締めたまま、泣いてしまう。彼女はそれを受けておろおろとしたが涙は止められなかった。彼女は本当に、女神のようなひとだ。俺はこの人が好きで好きでしかたがないのだ。
こんな深夜に、彼女は俺が泣き止むまで根気強く俺の背中を撫でてくれた。それから、お茶でも飲みましょう、と言って、不審者でしかない俺を、自分の部屋に招いてくれた。
「ごめんなさい、お茶菓子は切らしちゃってて」
申し訳無さそうに、彼女は俺の前に緑茶を出してくれる。ワンルームだが新築で、小奇麗な部屋だった。家具は簡素だが、それがかえって彼女の清廉さを際立たせている。俺は部屋の空気をめいっぱいに鼻と口から吸い込んだ。甘い彼女の芳香が強くする。ブリーフの中の性器がグンと硬くなった。
「あ、あの、僕、一松っていいます。松野一松です」
彼女も自己紹介をしてくれた。当然、俺が既に知り尽くしていることだったけれど。
「あの、あの、僕、その、さんのことが好きで、えっと、毎日で、お、オナニーするくらい好きで、好き、好きなんです、結婚してください」
「あらら……」
彼女はちょっと困ったような声を上げた。俺は本気だった。本当にこの人が好きで好きでしょうがなくて生涯添い遂げたいと思っていた。けれども、俺のみたいな正真正銘のゴミクズが、彼女のような天上人に釣り合わないこともじゅうぶん理解していた。
「……ごめんなさい。私、結婚するつもりはないんです。……気持ちはすっごく嬉しいですけれど、私は、誰かひとりを愛するっていのは不公平だと思って」
彼女は小さく頭を下げる。
俺はそれを聞いたとき、雷に打たれたような衝撃を受けた。つまり、つまり彼女は、俺のことを愛しているというのだ。彼女にとっては釣り合うとか釣り合わないとか、そんな価値観がそもそもないのだ。この世の万物すべてを彼女は平等に愛し愛でている。こんなゴミクズの俺でさえも。俺はあまりの感動に再び涙が出てしまった。
「一松さん、泣かないでください。悲しくなっちゃいます……」
「す、すみません、……ありがとうございます。俺、さんのためなら、なんでも、します。なんでも言ってください」
彼女はすこし考えたあとに、それじゃあ今度、興味がおありでしたら、ボランティアに参加してみませんか。もちろん、貴方がしたいと思うなら、です。人のために汗を流すのって素敵ですよと提案した。俺はふたつ返事で了承した。彼女が素敵だというならきっと素敵なことなのだろう。彼女は自らが清らかなだけでなく、他人まで清い道に導こうとしてくれている。俺はこの人のためなら死んでもいいとさえ思った。
そのまま俺と彼女は連絡先を交換してしばらくお喋りをした。彼女は聞き上手で、人と話すのが苦手な俺でもすんなりと話をすることができた。なにより、彼女と話をするのは楽しかった。人と会話をするのがこんなに楽しいなんて。俺はすっかり目が醒めた気分になった。
その日は彼女の家に泊めてもらい、俺は家に朝帰りした。女性もののシャンプーのにおいをプンプンさせて帰宅した俺に兄弟は激しく問い詰めたが無視してトイレに篭りひたすら抜いた。彼女の傍に居れば俺も清くなれるだろうか。こんな欲求からも解放されるだろうか。俺は手に散る白濁を見てそんなことを考えた。