あるときから、頭が痛いと言って、は一松に暴力をふるうようになった。
はじめは痣まみれになったり軽い切り傷程度だったのだが、日を追うごとに、その暴力はひどくなり、骨を折られたり額を割られたり、病院送りになるほどになった。しかし、一松はに何をされようとも抵抗しない。ぎりぎりと首を絞められ何度気絶させられても、股間を何度も蹴られついに片方の睾丸が潰れ即座に病院送りになるはめになっても、抵抗しなかった。きっとはこの苦痛以上の頭痛に苦しんでいるのだろうと考えていたし、彼は異常と表現していいまでのマゾヒストだったからだ。彼はを愛していた。彼にとってこの行為はもは性行為に等しく、彼女からの愛とみなされていた。彼はぐるぐるに縄で手足を縛られ、浴槽に沈められ窒息しかけては射精したし、煮え立った熱湯を全身にかけられては火傷の痛みに射精した。
ある日一松は前歯をすべて折られたうえ鼻を折られアバラを三本折ってさらに熱湯をたっぷり飲まされたせいで食道が焼け爛れて入院した。はもちろん見舞いに来なかった。こうして入院するときはいつもそうである。一松は夜ごとに病院のベッドで自慰行為に及び気持ちいいイッちゃう愛してると小さく叫んでは果てた。一松は異常である。
今回の入院は数週間と最長の期間を要した。一松がやっと退院許可をもらい病院から解放された帰り道、一松は実家ではなくすぐにの部屋へと一直線に向かった。彼の股間は膨らみ息が荒かった。やっとに直接いじめてもらえる。彼は喜々として彼女の部屋のインターホンを押した。しかし、いくら待っても彼女は出てこない。
一松は落胆してひとまず自宅へと帰ることにした。しかしその途中で、一松はの姿を見つけた。
彼女は彼の兄、チョロ松と楽しげに歩いていた。

「……えっ」

一松は一瞬息の仕方を忘れるほどに驚愕する。が、あんなにも落ち着いて柔らかい笑みを浮かべているのを見たのは数年ぶりのことだった。次いで一松の胸に湧き上がったのは当然、黒いコールタール状の嫉妬心という感情だ。一松は隠れて彼女らの後を追った。はチョロ松と恋人のように手を繋いで、いくつかの雑貨店を回り、食事をして、名残惜しげに別れる。一松は先回りしての部屋の前で待った。すこしして、が現れる。



一松が声をかけると、は露骨に嫌そうな顔をした。それから、

「もう来ないで」

と言って、自分だけ、部屋に入ろうとする。一松は咄嗟にドアの隙間に足を挟んだ。は余計に機嫌が悪そうにしたが、一松の顔面を殴りもしない。一松は不安になる。普段のならば、もう一松を殴っていてもおかしくはなかった。いや、絶対そうするはずだ。そうしてくれるはずだ。はマゾヒストの自分を受け入れ愛してくれているのだから。

「どうしたの、。もしかして、入院が長かったから、怒ってるの?」

一松がドアの隙間から手を伸ばしに触れようとすると、彼女はその手を鬱陶しげに振り払う。そして嘆息したあと、淡白に告げた。

「私、チョロ松くんと付き合ってるの。だから、もう来ないでね」

え、と、一松は混乱する。

「ど、どうして。俺をいじめるのに、飽きた?それなら、これからチョロ松兄さんの真似をしていじめられるから。だから、捨てないで」

「……そういう、いじめるとか。もう私、しないから」

はちょっと眉間に皴を寄せて、自分の額を人差し指でコツコツ叩いた。彼女が頭痛に悩まされているときの癖だった。条件反射でその動作を見た一松は勃起する。この動作は一松にとっての性行為の合図だった。
しかしはやはり嘆息するだけで、一松を玄関に入れることはないし、ドアに足を挟む一松を虐げもしない。

「一松くん。一松くんと違って、チョロ松くんは私のことを愛してくれてるの」

「え、……え」

「チョロ松くんは私の頭痛を心配してくれるし、気を紛らわせるために色んなところに連れて行ったりしてくれるよ。でも一松くんは違うよね」

――そういうわけだから。
の言葉に思わず一歩後ずさった一松に目もくれず、彼女はぴしゃりとドアを閉めて鍵を掛けた。一松がドアを叩き、の名を何度呼んでも無駄だった。一松には何が悪かったのか、理解できない。一松はを愛していた。自分を殴ることでの頭痛は緩和されていたはずだし、の暴力には愛があったはずだし、あの暴力は性行為で、自分とは深く愛し合っていたはずだ。なのにどうしては自分から離れ、兄のもとへと行くのだろう。分からないなりに考えた末、一松は一種の気の迷いだと結論付けた。きっと彼女は頭痛で混乱しているのだ。だから、待っていれば自分のもとに帰ってきてくれるはずだ。そうすればまた、元通りの生活が待っている。
一松はそれから余計に家に篭って彼女を想ってはオナニーをする生活をした。時折自分で骨も折った。当然彼女が迎えに来ることはなく今でもはチョロ松と仲睦まじく、ふたりでゆっくりと社会に適応し始めている。それでも一松はが自分を愛していると信じているので、彼女がつけたたくさんの傷痕をなぞりオナニーをして待っている。彼の望む未来は、おそらく永久に、来ないのだろうけれど。