そうだ、死のう!
は唐突にそう思い至り、丈夫なロープを買いに走った。特に会社で嫌なことがあったわけでも、友人関係や家庭環境に問題があるわけでもない。ただ、死のうと思っただけである。決断されてしまったからには、成人し自立した彼女の命の責任と自由は彼女にあった。
彼女は下調べからおすすめのロープ知り、それを買い求めるために赤塚町のホームセンターまでやって来た。ロープを選んですぐ、そういえば踏み台も必要だったことを思い出して、適当な脚立を探しそれを手に取る。コンパクトなものにしたが、畳んであっても意外と重たい。ロープだけのつもりだったので、カートも持ってきていない。四苦八苦しつつレジまでの長い距離を進んでいると、ふいに脚立を持っているほうの手が軽くなった。
見ると、紫のパーカーを着た猫背の男性が、の脚立を持って立っている。

「……持つよ」

「一松くん。久しぶり」

の元同級生、松野一松だった。卒業後も、同じ赤塚町在住ゆえたまにすれ違うため、こうして親交がある。どうも、重たげに脚立を運ぶ彼女を見て、一松はさすがに見ていられなくなったらしい。は素直に礼を言って、再びレジへの道を歩き始めた。

「一松くんも買い物?」

「……ここ、猫缶安いから」

一松はもう片手に持っているビニール袋を見せた。どうやら帰るところでを見かけたらしく、ホームセンターのロゴが印字されたビニール袋には、猫缶がぎっしりと詰め込まれている。

「一松くん、相変わらず猫好きだね」

「まあね。……は?」

と言って。
一松は自然な流れで、おそらく彼女が買おうとしているもうひとつの商品、彼女の手にあるロープを見てしまい、しばらく、無言になる。

「……なに、自殺でもするの」

「うん」

引き攣った顔で問う一松には明るく頷いた。さらに、今、最後の晩餐は何にしようか悩んでるんだあ、と笑顔で続ける。
一松は歩みを止めた。数瞬遅れて、も足を止める。一松は相変わらず、気だるげな顔をしているが、その瞳はわずかに動揺に揺れ動いていた。

「……死ぬ、の」

「そうだよ」

「……どうして」

は困った。どうしてと言われても、急に思い立ったのだ。夜中に突然散歩がしたくなるあの感覚に近い。つまり、理由はないのだ。

「――あ、そうだ。一松くん、欲しいものある?遺言で形見にしておこうか。私ゲーム機とか持ってるし」

「……嫌だよ。いらないよ。なんで死ぬの」

はさらに困る。一松はなぜか怒っているように見えた。どうして怒っているのと素直に訊ねると、が好きだからに決まってるでしょと大胆カミングアウトをされる。彼女は驚いた。彼にまさか好意を寄せられているとは思っていなかったのだ。さらにまずいことになったぞとも考えた。さすがにどこかズレている彼女にも、身内や自分に好意を持っている人間ならば、自殺を止めにくるものだと理解ができている。
彼女は悩んだ末、

「冗談だよ」

と言った。
面倒なので、嘘で誤魔化すことにしたのだ。彼女は面食らっている一松に、ロープも脚立も今度の会社の大掃除に必要なもので、頼まれたので買っただけだと嘯いた。一松は腑に落ちない顔をしたが、ひとまずそれに納得したようすで、歩き始めたについてくる。彼女は無事、脚立とロープを購入することができた。
一松は暇だからとそのまま脚立を持って彼女を家まで送った。は玄関前で感謝を述べ、ドアを閉めようとしたところで、一松に呼び止められる。

「……返事は」

「え?」

「告白の、返事」

は悩んだ。一松をそういった対象として見たためしはない。けれども気は合うし、悪い人でないのは分かる。それに、今彼女はフリーだった。独り身のまま死ぬのは、なんだか妙に悲しく思える。職に就いていないのが難点だが、まあ、付き合ってもいいかな、と彼女は思った。

「うん、私も好き」

一松が目を見開いて顔を赤くしたところで、じゃあね、と言って彼女はドアを閉めた。それから机の上で遺書をしたためていると、携帯が鳴った。メールの着信で、本当に俺なんかと付き合うの、とだけ打たれていた。は、私一松くん好きだよと返信した。それから携帯の電源を切ったので彼女は知らないが、たっぷり間を置いて一時間ほど経ったころに、彼はメールを送っている。返信を受けてから、ずっと考えて打っていたのだろう、こんなメールだ。

『ありがとう。本当に嬉しい。実は、学生時代からずっと好きだったんだ。覚えてるかな、隣の席になったとき。俺はそのときいじめられてたけど、こんな俺なんかの消しゴムを拾ってくれたよね。挨拶もしてくれたよね。――長くなっちゃった、ごめん。次は、いつ、会えるかな』

が試行錯誤し遺書を書き終え、部屋の掃除を終えたのは、夜九時を回ったあたりだった。時間もちょうど良いので、彼女は実家あてに遺書を郵送し、脚立とロープを持って人が立ち入らなさそうな森林深くまで行って首を吊り自殺した。首を吊るだいたいの住所は、あらかじめ遺書に書かれている。彼女が死に二日後、遺書が両親の元へ届いて、すぐに彼女は発見された。


の葬儀は、自殺ということもありひどく沈鬱だった。中でも彼女の死の知らせを遅れて受け、半狂乱で葬儀にやってきた一松はかなりの取り乱しようだった。彼は彼女の棺の前で人目も憚らず泣いた。そして、両親の前で土下座をした。
すみませんでした。俺は、自殺直前の彼女と会っていたんです。彼女から、自殺するとも言われてたんです。ごめんなさい。俺の責任です。俺のせいで彼女は死にました。
彼女の両親は一松に掴みかかり、父親など彼の頬を張り飛ばした。両親は他の親族に取り押さえられ、一松は葬儀から追い出された。
一松は喪服のまま、ふらふらと歩く。彼はホームセンターでが買ったのと同じロープと脚立を買った。そしてそのまま、森の奥深くへ行って、二度と帰ってはこなかった。